2011年04月28日

『スーサイドエルフ/インフレ世界』は一ヶ月ほど前に終了していました。/社長

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 ここでのご挨拶が遅れましたが、ジエン社第六回公演『スーサイドエルフ/インフレ世界』は終了いたしました。
 一緒に戦っていただいたスタッフ、俳優、そして観客の皆さんに改めてありがとうございました。
 ツイッター割引のせいもあってか、たくさんのご意見ご感想をいただいております。また、小劇場レビューサイト『ワンダーランド』のクロスレビューにも取り上げていただき、これまたすごい意見をいただいております。ありがたいことです。感謝感謝です。

 主宰として、なかなか振り返るのに時間がかかりました。この公演。ようやく、いろんなことを忘れてきたので、思い出すにはちょうどよいと思っていままとめをしてみようと思っている次第です。とはいえ、脳はすっかり次回の公演――芸劇eyes番外編参加公演の『私たちの考えた移動の出来なさ』にむけてシフトしております。今回は、そのための思考もかねて、ぼんやりと振り返っていこうと思っています。

 この公演のテーマなんちゃららは、多岐に渡っています。ざっとした柱だけでも「アートと経済」「優しいとは何か」「からだを使ってお金を交換するという事」「交換そのもの」「交換可能なわたしと”作品”」「権力にどうはむかうか/歯向かわないか/無いことにするか/感じているのに」「”しにたい”とは何か」「あふれすぎて価値を失う事(インフレーション)」とか、切り取ろうと思えばどんな風にも切り取れる。これはどういう作戦かというと、「テーマを沢山設ければ、一つ一つがインフレしてテーマなんてどうでもよくなるんじゃないか?」という作戦です。的を、絞らせない。

 もともとは、「円高やばいなあ」という話を書こうと思っていたのでした。地味に円が、今80円台になっている。これが、僕にはよく分からなかった。というのも、昔財務省のトップだった塩ジイこと塩川元財務大臣という人が、記者から「円高がこれ以上すすむとどうなりますか?」という質問に「神サンにでも聞いてください」とスッとぼけた答弁をぼんやり覚えていて、マスコミの論調も「これ以上この政府に任せてたら日本は円高でおしまいだ」という感じになっていた。
 でも、おしまいではなかった。だらだらと、円高は続くし、人生も続く。
 公演後に、「円高になるという事はデフレになるのであって、インフレではないのではないか?」という質問があったが、僕がなんとなく思ったのは、その後に来る「デフレ対策」――たとえば、紙幣の大量印刷や、高額紙幣の発行である。このあと訪れる「インフレ世界」の入り口――や、もう入っているのかもしれないけど、それをイメージしたのです。
 今、ここに持っている「いちまんえん札」が、一万円の価値を、失う世界。
 今、ここにあるとされる、確からしい若い体が、一秒ごとに価値を失う世界。
 27歳の私は今のところ「若手脚本家」という称号を、ギリギリでまだ呼ばれてたりするんだけれど、この若いからだの価値が、ともすると、一秒ごとに価値を失っているんじゃないか、そんな発想をしていくと、『援助交際』の話……最近では『雇い/雇われ』という言葉になっていますが、そこに行きつきました。
「お金以外の交換で、若い女の体を抱けるとしたら、それは何か?」

 そう考えていくと、今度は「付き合うなら優しい人」という常套句に行き着く。
「やさしくする/やさしくされたい」は、交換可能か?

 アメリカのとある州に流通している地域通貨がある。それは『イサカアワー』と呼ばれる不思議な通貨だ(主人公のイサカ君の名前はここからとった)。『イサカアワー』は、『アワー』というとおり、一時間をあらわす。人に一時間、『親切』にする(主に老人の話し相手、買い物代行、芝刈り、パソコンの使い方指導など)と、イサカアワーを発行している事務所から「1イサカアワー」を貰うことができる。この「1イサカアワー」を使う事によって、誰かから一時間「親切にされる」という事らしい。
これが、どうもうまく行っているようだと、私が読んだ資料にはそう書いてあった。今はどうなっているのか分からないが、社会で『親切』を交換し合う試みが既になされていた。
 これは、可能なのかどうか。
 その資料には、既存の通貨制度や貧困、財産の不公平な配分に対抗するために「地域通貨」の時代が来るのではないか、という希望が書いてあった。

 登場人物に、「ユウコ」と「レイジ」という二人が登場するが、これは第三回公演で名前だけ出てきた人物。第三回公演『ゴーストニートペアレント』は、不治の病に冒され、寿命があと数日といわれながら、三年生きてしまった人が、やはり病気なので何もせずベッドに居る、という話。セカチューに対抗して、不治の病だけど、死なない話を書こうとしたのだけれど、そのヒロインの女の子の両親の名前で、ちらっと出てくるのがこの二人だ。
「まひるちゃんの両親って、ユウコとレイジって言うんだって。二人合わせて、ユウレイっていう」
 ただそれだけの人物設定なのだけど、どうも雑だなあと思って、今回人物を描いてみた。第三回公演時、この二人は育児や看病をあきらめて、どこにもいない事になっている。あのシーンのラスト、二人はどこかへいってしまうのだけれども、どう演出つけたのか忘れてしまった。相変わらず雑な感じだ。
 ただ、あの場から離れて、あの二人は、何も出来ないのではないだろうか、とは思う。それでも、生々しい生活は、あるのだろうなあ。どんなにゆうれいに見えても、そこに、体があった以上。ソレ以上書いたり、踏み込んだりするのには、まだ僕の技量が足りない。

 演技と演出面について。
 今回は、リアルっぽいもの追おうとするのは、もうやめようかなあと思って、今回行き着いたのが、こんな感じでした。演劇は、いろんなことがやれる。当たり前の事に気づかされたという感じです。照明や、音響だって、もっと使えるのではないか。俳優の体も、もっとおかしなことが出来るのではないか。
この辺りが次への課題になると思います。まだまだ、やれることはある。

 長い割りに、相変わらず何を言っているのかよく分かりませんし、振り返りも浅いものですが、ひとまずココまで。
 次回の本公演は年をまたいでしまうかもしれません。
 どうか、気長にお待ちいただけますよう。
 そして水天宮ピットでの芸劇eyes番外編も、どうぞよろしくお願いします。

 では、また。
posted by ジエン社ブログ at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 社長・本介さんが疲れた。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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