2011年03月18日

「社長は社長でございって顔する」/社長

 どうも社長です。

 震災以後、大変なことになっていたりする中で、我々はありがたく、しかし多少神経質になりながら稽古を続けている日々です。

 その思いは、考えうる出来るだけかっこいい言葉を使ってとりあえずHP(http://elegirl.net/jiensha/main/archives/112)にもしたためましたが、今は、自分らの演劇が「悪」であるだろう事も思いながら、「でもやります」、というところです。

 そう、こんな時期にもかかわらず、HPのトップページでは、恰好をつけました。ああいう文章を考える時、やはり「かっこうよさ」を狙ってしまう、気恥かしさや、申し訳なさがあります。

 とはいえ、だからと言って、じやあ事務的な言葉を描けばいいのかというとそれも違う、届かない、どころか、「何か批判的な物をかわすための、とりあえずの生贄かよ、言葉は」とか思ってしまったりする。
 こういう時にベストな言葉は何があるのだろうか、というのは、本当に悩みます。

 とまあ、このブログでは、『ツイッターよりもかしこばるが、HPよりは柔らかな文章』をつづり、今ジエン社という劇団では何を考え、どんな思いで物を作っているのかを、書いて行く場にすればよいのだろうなあと思っています。

 引き続き、公演参加者によるチェーン役者紹介やら、ダイエットに励む日記や美味しいご飯を紹介するもよし、「水だけでお腹を膨らます方法」や、「空想の力でパンを生み出す術」とかがあったら、是非掲載していただきたい。とりあえず主宰は、今市井に食パンが売られていないため、飢餓の恐怖におびえています。パン、バナナ、牛乳がないと、どうにも落ち着かないのです。

・・・・・・・・

 さて、震災後の「不謹慎」や「演劇をやってよいのか問題」について、あまり恰好のよくない言葉で、もう少し考えてみたい。

 私達は残念ながら「芝居をしなければ死ぬ」と言うほど、生活力や生命力がないわけではなく、油断すれば器用に生きれてしまう。「じゃあしなくてもいいじゃん」という声なき声が、稽古場に向かう自転車の背中やお腹に、すんすんと入ってきたりしていて、つくづく「悪」でいる事は大変だなあ、と思ったりします。

 私達は、たしかにある何かを信じて演劇や表現をやろうとしていますが、その信じるものと言うのは、結構簡単に論破されてしまう物でしょうし、そんなもの大事にするよりもっと大切な物があるぞばかやろう、という罵声で、一気に崩れてしまう種類の、いわば迷信のような感じです。

 ふと、トマスアクイナス、という人の事を思い出しました。僕も詳しく読んだ事は無く、保坂和志さんの評論などで引用されているのを数度見かけただけなんだけれども、トマスの奴は、聖書を、あるいはキリスト教というものを、すごく真剣に考える……ただ、宗教というやつは、どこかぶっ飛んでいて、とてもマトモに解釈しようとすると、矛盾やおかしな所が満載だったりする。近代的な解釈では、どうしても不合理な箇所も多くなってしまう。

 でも、トマスは「でも信じます」という態度で、これらと戦う。丹念に聖書を読めば読むほど、丹念に神を信じれば信じるほど、無理があって、「でも、信じる」。

 盲信とか、思考放棄とか、そう言うんじゃないのは、その本の分厚さや、その告白のすさまじさを読めば、分かるような気がする……といって、ちゃんと僕は読んでいないのだけれど。

 僕らの演劇も、そのようになすことはできないだろうか。

 冷静に突きつめれば突きつめるほど、僕らの今やっている事は、電力をくい、間接的には被災地へダメージを与えている。
 今こうして居る間にも、確実に他者を苦しめている。僕たちの活動は、誰かの迷惑だ。もっといえば、私の存在は、誰かの迷惑である。

 そのことに、僕らは、自覚的でもある。自覚的な割に、鈍感でもある。鈍感だからこそ、今日も稽古が出来た。口では、かっこうをつけて、被災地の方の事を思ったり、演劇の正しさを言える。その一方で、良心として、被災地の事を思いめぐらすだけの想像力はありながら、あえて鈍感になって、都合よく解釈して、演劇をやる根拠としている。

 悪ではないか。
 悪であるよ。
 私は、悪に違いない。
 社長であり、公演責任者の私は、悪の親玉であろう。
 証拠に、私は稽古場でよく笑う。ニヤニヤ笑う。笑うのは、悪の親玉によくある話だ。
 
 トマスは、地獄に落ちてもいいのであなた(神)を信じます、的な事をなんか言ってたような気がした、たしか。

 私達は「悪」であり「不謹慎」である事を、自覚しながら、それでも演劇をなす。
 
 僕がトマスを「なんかすげえな」と思ったのは、なんだろうな、やはり「狂っているなあ」と、その引用箇所を読んだ時正直そう思った。普段からこんな事、ずーっと考えているのか、すごいな、と。

 分厚い感じがするのです。分厚い、こう、分厚い。分厚さに、人は、「じゃあしょうがねぇや」と思うことだろう。あ、その「しょうがない」こそ、僕が普段から言っている「仕方がない」なのかもしれないと、書いているうちに思ったりした。

 何の話をしていたんだったけ。
 
 話題を変えます。

 私たちは結構早い段階で「東京が大震災に遭ってガレキに埋まろうとも、演劇を続けられるような体力や哲学を持ちたいものだのう」といった内容の事は結構前から言っており、F/T11の公募プログラムの書類にも、今後の劇団の見通しでそういう事を少し書きました。(詳しくは→→http://www.lightbluesky.net/uploader/src/2564.pdf)ただ、その時考えに及ばなかったのは、「災害や世界の不条理で、自分が被害者になる事ばかり考えて、他人が被害者になる事は考えてなかった」という事、もっといえば「自分が被害者になると言う事は、観客もまた、被害者になっている可能性もあると言う事」だったなあと、今思うとそう思う。

「自分が被害者になっても演劇をやるぞー!」というのは、チト幼稚で能天気だったなと、あのころの私に戻って私に言いたい。セブン上司のように枕元に立って「キミキミ、演劇は観客と言う物が居ないと成り立たないのだぞ」という言葉をかけてやりたい。あの頃の私は、観客よりも、自分の作品性とか作家性とか、そのへんの俺俺だったのだろう。俺俺の、オレまみれだったのだろう。他人もすべて、オレになって、無数の俺俺達が、増殖し、気づまりになり、殺し合いになり、殺到したりするっていう……星野智幸さんの小説『俺俺』な状態だったのかもしれない。

 観客がいる。それは他人なのだ。他人のつらさが、想像できない分、僕は怖い。僕のつらさは、分かっているから、どうでもよい。ただ他人のつらさは、計れない。だから、怖い。

 今回、「観客の安全」というものを、すごく突きつけられた。苦しんで、考えた結論は、「ジエン社のお芝居は、ディズニーランドのくるお客様とは違い、自分の判断で何かをつかみ取っていく観客の皆さまなのだ。だから、安全というものを100%を僕は背負わず、99.95%だけ背負えばいいのだ!」という事だった。

 今、お芝居を見ると言うリスクを、観客のせいにしてしまう作戦である。

 それだけで大分楽になった一方、それって、例えばジエン社に百万人お客さんが入ったとして、500人は目の前で死に行くお客さんを見捨てるって事なんだろうか。

 それに、もっと言えば僕は今お客さんに「自己責任」を背負わせようとしているのではないか。

 一時期「自己責任」という言葉がにぎやかに流行した事があった。今回のお芝居でも、「自己責任」という言葉は、否定的なニュアンス(本当はそんなニュアンスではないけど)で俳優に言わせている。

 それは、そうだろう、と思う一方、いや、本当にそれは、どうなんだろうか、という所でもある。実際に今回は余震もまだ続いているし、観客席でお客さんが生き埋めになる可能性は、0.005%くらいはありそうだ。
 そうでなくても、停電のためお客さんが日暮里から帰れなくなるということだって予測できる。観客の方に迷惑を被らせてしまう事だって考えられるのだ。

 これらについて、僕は「観客の自己責任でいいじゃん」という、悪の考え、悪の思考で乗り切ろうとしている――これは恐ろしい事だ。私は人の命を軽んじる、最低最悪の――魔王だ。

 だけど、しかし、それでも、僕は演劇をすると思います。
 今、稽古場で作っているものは、「でもやります」に相応しい、分厚さになって、いるならば。
 分厚さ……自分で言うと、薄っぺらくなる感じがしますが……
 否定的に見る方でも、充分な「分厚さ」になるべく、とにかく、しかたなくさせるべく、やっています。心がけています。

 演出も、だから、分厚くなくては。しかたないって思わせなければ。圧倒的な何か、でなければ。

 長くなりました。もっとライトな文を書いて、このブログにもっといろいろ書きやすい環境にせよ、という演出助手からのお達しにもかかわらず、こう、文が、重いとね、「やっぱ非常時だから気を遣っているんだなあ」と思われてしまう。
 や、そんなこんなで、まあこのブログには相変わらず俳優たちのこまごまとした記事が載ると思いますが、だから、なんだ、僕たちは、あの、だからあれです

 ああ、もっと気楽な事を書けばよかったと思ったが、後の祭り、目の前の日常である。演出席に置いてあったのど飴をパクパク食べていたら、演出助手の吉田に「それは俳優さんの分なのですが……」とたしなめられたこととか、演出席に置いてあったクラッカーに手を伸ばそうとしたら、すっと吉田に遠ざけられた、とか、そういう事を書けばよかった。

 だから、ああ、なんだ、あーあーあー

 
 今後もどうぞよろしくお願いしますという、そういう事が言いたいのです。

 
posted by ジエン社ブログ at 02:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 社長・本介さんが疲れた。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
社内報更新とのことで、うきうきチェックしてみたら、最後の最後で、なんだかまるで私が食べ物に薄汚い人のようではないですか。
あのクラッカーは、胃を荒らす痛み止めを飲むために必要不可欠なクラッカーだったのです。そんな、自分の食べ物を渡すまいという姑息な独占ではないのです。

でもなんだかあれなので、今度の稽古の時はおなかにたまる差し入れ、もって行きます。
Posted by 演出助手吉田 at 2011年03月18日 03:04
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